寺山修司という詩人

苦しいときには、何故か詩集をひもとく。
今日は寺山修司の歌集に出会った。

彼の著作には日常口にしたらぞっとするような、
おぞましい言葉が羅列してある。

何故、それらの詩句が私を惹きつけるのか、
それは、世界の本質をものの見事に洞察し、
詩に昇華しているからだ。

私は詩によって癒され、カタルシスを得る。

今日の詩句
言葉餓鬼

無才なるおにあり、名づくる名なし、かたちみにくく大いな
る耳と剥きだしの目をもちたり。このおに、ひとの詩あまた
食らひて、くちのなか歯くそ、のんどにつまるものみな言
葉、言葉、言葉―ひとの詩句の咀嚼かなはぬものばかり
なり。
ひとの言葉に息つまることの苦しさ、医師に訴ふるに医師、
一羽の百舌鳥をあてがふ。百舌鳥は、あはれみのこころ知る
鳥なれば、おにのあけたるくち、のんどの奥ふかくとびめぐ
りつつこびりつきしひとの言葉を啄ばみ、またのみこみ、おに
の苦患をすくひたり。
さればおに、さわやかに戻れども、ひとの詩をふふみ、消化
せし百舌鳥、大空に酔へることかぎりなく、つひに峡谷ゆ
さかさに堕ちて果てたり。あはれ、詩を解するものすこやかなら
ず、ただ無才なるおにのみ栄えつつ、嗤へりき。

(講談社学術文庫 寺山修司全歌集より)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック