働く人がこんなに粗末にされる国

激しい消費社会の反省と称して「もったいない」
そんなことばが流行ったのは、つい昨日のことのような気がする。

震災後「断捨離」などということばが流行った。
それは物欲から離れなさいといっているように聞いた。
知人は持ちきれない持ち物を処分することにエネルギーを費やした。

日常的なことばの流行に齷齪していられるひとは、
考えようによっては、しあわせなことだ。

それよりもこの社会の底に流れる、欺瞞と冷酷さに、
ぬぐいきれない不信が渦巻く。

日本にあふれかえっている、物、物、物・・・
戦争の物資不足を体験した人々は、物を持つことに幸せを感じるのだろうか。

もっとも顕著な例が、この小さな日本列島に、
54基もの原発を作って持ってしまった暴挙だ。

大型バスがずらりと並んでいる駐車場の写真を見た。
昨日今日、朝日新聞の1面は事故で大破した大型バスの、
あわれな残骸が飾っている。

物は、単独では動かない。
燃料とそれを操作する人間の手が必要だ。

無駄遣いの真髄は慎ましやかな庶民の無駄遣いではなく、
企業が大枚をはたいて買った機械や、
不況にかこつけて買い叩いている労働力の無駄遣いではなかろうか。

人間としての尊厳を無視した働かせ方をする企業に、
教養ある若者が、屈服するはずがない。

それでも生活のために必死で働こうとする人間には、
終身雇用も、年功序列も、社会保障も失った、
熾烈な競争論理が提供されているばかりだ。

働くものの権利はとうに失われ、義務だけが契約の範囲を超えて、
重くのしかかる。

そのなかで、人は卑屈になり、卑怯になり、冷酷になり、
その矛先は、その社会構造の問題点に向うのではなく、
家族や、隣人や、友人、知人にまで及ぶ。
弱いものが弱いものをやっつける構図だ。

その構図は恐ろしいことに、援助を要する人々の、
老若男女子どもにまで波及している。

もういい加減にしてくれ、と思う。
人間が、かわいそうじゃないか。
人間が、悲鳴をあげている。








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